朝食を用意しながら夢のことを考えていたらリンゴを多く使いすぎた.夢日記を書くために夢のことを考えすぎて現実が疎かになるかもしれない.
夢日記を書くと死ぬという都市伝説があったが,私のような不注意な人間が夢のことを考えすぎてぼんやりして事故にある可能性を考えるとあながち嘘ではないかもしれない.
しかしたかが夢とはいえ,夢を経験している間はまさにそれが現実らしさのある経験だ.そしてそれが夢という現実に劣るものと判断できるのは,事後的な立場からでしかない.
これでは夢の評価は公正ではない気がする.もう少し夢での経験を大事にしていいのではないだろうか.
夢は私の脳が作り上げた架空の世界だが,古典的な立場からすればそれは私の創作物とは見做されないだろう.しかし夢も書いてしまえば私の創作物になる.
このとき私の記述は,単に生産力に因る生産物という評価だけではなくて,ひょっとすると私の豊かな創造性の産物として評価されるかもしれない.
もしこうなったら占めたものだ.なぜなら私は何の努力もせずに眠っているだけで創造性を発揮したからだ.私が努力したのは記述だけである.
しかし自分が努力してないことでも称賛を受けるとしたら人によっては,妥当な評価ではないと考えるかもしれない.古典的には称賛は意志的な行為や結果を評価するものだからだ.
ただ私の場合夢の創造性を評価されようが,どうでもいい.ここまで書いてきたようなことは手癖で考えてしまうに等しい内容なので,私の生き方には一切関係はない.
私は自分の夢を創造的であると考えているわけでもない.さらに,たとえ夢であれ,意志的な行為であれ,私は他人から称賛されたいわけでもないので誤解しないでほしい.
まぁ誤解されてもどうでもいいか.変なことで気を揉んでしまった.