サイコパス,サイコー!

*友人に送った文章を一部改変した.

ジェームス・ファロン『サイコパス・インサイド : ある神経科学者の脳の謎への旅』, 影山任佐 訳, 金剛出版, 2015年 という本を読んだ.
著者はサイコパス研究者なのだけど,あるとき偶然自分もサイコパス犯罪者とまったく同じ脳の特徴をしていることを知って社会性が高いサイコパスが存在することを知ったという自叙伝 著者が自分を振り返ったときのサイコパス的な振る舞いがまさに私とまったく同じで,かなり驚きだった
自分が書いたのではないかと思うような文があったので紹介したい. これを読んで私もサイコパスなんだろうなと思った

“多くの場合、私は共感的に振る舞える. 私はよい聞き手であり,人々が何に関心をもっているのか聞くことが好きである. しかし私がしばしばこうするのは,彼らを思い通りにする方法を見つけようとしているからである. バーも競技場もまったく同じである,出かけて人々とおしゃべりをし,自分が教授だなどとは一言も漏らさない. 私は開けっぴろげで,彼らに歩調を合わせるが,常に自分のこころの裏側で考えていることは,「この連中とどうやったら愉しめるのだろう? この子に,『あなたと今すぐ セックスがしたい』と言わせるにはどうしたらいいのだろう? あるいはこの男に『私が投資できるようなビジネスを何かもっていますか?』とか、 『あなたを信用して、この個人情報を教えてあげましょう』とかをどうしたら言わせられるのか?」などである. このような接近をするには共感が大事だが,しかしそれはまさしく認知的共感であって,こころの理論に関係することなのである. 私は得られた情報をいつも利用するわけではない. 人々が私に完全に打ち解け,自分をさらけ出している時, とくに彼らが私と知り合ってからほんの数分ばかりの場合には,得られるのは噂話でしかない. しばしば私は彼らを実際に助けようとしている. もし彼らが問題を抱えているなら,「この医者なり,あの投資家に紹介しましょう」と言ってやる. しかし本当の動機は彼らを私の手に握ることなのである.

人々は私にとってちょっとした実験材料である. 私は人々と話すことから愉しみを得ている.いわば,私が実際に彼らを心配するなどということはどこかに消えてしまっている. 人々が飲酒するとき,彼らは心を開き易いし,私がかなり好んで飲むのもこのためだと思っている. 飲酒すると,人とつながっているように感じ,ここちよいが, その主な理由は,私が人々を支配するのが好きだからである. しかし私はそうはしない,というのもそうする必要がないからである. もし自分の人生が十分うまくいっていなかったなら,私は既に悪党になっていたかもしれない. その可能性はあるが,しかし私には他の多くのもの家族,友人,研究,ビジネス,メディアへの出演などを手にしているので, これ以上必要なものはない. おそらく男の一部は女性を拾って,どうしても自宅に連れ帰りたいと思うだろう. しかしもし若い女の子が,「今あれをしたいの?」と言ってくれれば,私にはその言葉で十分なのである. このことと実際にセックスをすることとは関係がない. 私はひどい浮気者であり, そしてダイアンはこのことを知っている. と言うのも,女性がどのように私に反応するのか彼女は知っているからである. あらゆる年齢の女性は私の周囲に寄りたがるし,私は彼女らに耳を貸してあげる. これはゲームだと私は知っている. 彼女らの恋人,夫は彼女らの話に耳を傾けない. そこで私が登場するわけである. しかし,周知のようにサイコパシーはこのような人の弱みにつけこむのがその特徴であるのだが, この好機に乗じるようなことを私はしない. 私は最悪のそんな薄汚れたことはしない (I don't take it down the darkest dark road) ”

p.174-175より

最後の部分は著者が浮気の弁明をしているのだが,しかしだからと言って著者は“最悪なこと”を続けている可能性は高いのではないか.
私の憶測だが,著者がこの本を書いたのは自信がサイコパスであることが露呈した以上,ある程度手札を見せることで
同じ手は使ってこない(もしくはサイコパスでも危険ではない)という印象を読者から得たかったからではないだろうか
また著者はサイコパス当事者研究者という地位を得ることで,ある程度これまでの道徳的非難を免れる狙いがあるとも邪推できる.
なぜここまで著者を疑うかといえば,サイコパスが何か旨みになる動機もなしに自分の手札を種明かしはしないだろうと考えるからだ.
学習して長期的な利益を追求するようになったサイコパスは反社会的なことをしてもより目立ちにくくなって発覚しづらいだろう.
著者はそのようなサイコパスではないか,そして私自身もそうなるかもしれない.

人々を支配するのが好きか?ということについて私はいままで質問の意味がわからないので何とも言えなかったが,
この著者と同じように私も人間関係をゲームか実験であると思っていて,それが当然のことだと信じてきたという点では,
私も他人を支配するのが好きだと言えるのだろう.
これまで私は,自分に対する疑問として,ASDなのかサイコパス的な反社会的な人格なのかどちらだろうか(つまり私はこころの理論を獲得しているのか)という謎を持っていたが,
この疑問への精確な答えはさておき,対人行動面では私はサイコパスに近い(こころの理論を獲得しているが,共感性が低い)といえそう.

以上