終末期の始まり:されど、死ぬのはいつも他人ばかり

2024_0623に記す.

これは友人E.Mへ送ろうとしたメッセージを大幅に改訂したも文章だ.
結局はこの文章はE.Mに送れなかった.
こんな独りよがりの文を送るべきではないようだ.
ちなみに元の文はこんなにキザではないし,福岡弁の砕けた口語文だ.
今までの自分なら送っていただろうが,そういうおかしな距離感や自己中心的な行動が,
さらに友人を失う要因となるはずだ.
今年は大切な友人を私の愚かな行いで失いすぎた.
誰のためにもならない人間関係というものがあるらしい.
それは避けたい.

我が家の老犬うららのことです.
返信は無理しないでください.
終末期の犬のことなのでつらくなりそうなら読まなくてもいいです.
ただうららのことを言える人が他にいなくて文章を書いてしまった.
迷惑をおかけするかもしれません.お許しください.

残念なことにうちの犬のうららは終末期に入った.
次の10月で18歳の高齢犬だ
とはいえうららは元気で病気をすることもなく生きていた.
しかし半年ほど前にクローニング病であることがわかってからのうららの衰弱はとても早い.
クローニング病では,ホルモンの異常が起きてテストステロンの分泌が多くなる.
筋力が強くなるので老犬とは思えぬ程の力を出す.
テストステロンといえばステロイドのドーピングで筋肉ムキムキになるホルモンだ.
そして落ち着きがなく多動になる.
ただし悪いことにクローニング病の場合,どうのような仕組みかエネルギー源として,自身の筋肉が分解される.
それゆえ力を出そうとするたびに筋力が弱まっていくのだ.
またテストステロンの効果によって毛も抜け落ちていく.
うららはこの奇妙な病気によって急激に四肢が弱った.
一時は異常な食欲を持って歩いていたようだが,それらは疾患の症状だったようだ.
もちろん治療薬や手術による治療法も存在するのだが,どちらもうららには適用できなかった. まず治療薬の副効用がとても大きく,対して効用は少なかったので,薬剤による治療は断念した.
次に手術についてだが,イヌへの全身麻酔はヒトよりもリスクが高い.
特に10歳以上で体力がないうららをこの手術で失うリスクは冒せない.
そのようなヒトの事情も関係なくうららのクローニング病は進行した.
今ではうららは寝たきりになった.
自力でできることは四肢をバタつかせるか.右側に大きく曲がった首を使って多少身体の向きを変えることだけだ.
四肢をバタつかせて落ち着きがないので1日に合計で30分ほど車椅子に乗せている.
左前脚しか動かないのでうららは時計回りにしか進めない.
そのように運動しないと尿が出ないからなのか,それとも単に動きたいのか,うららは無茶に動きたがる.
四肢の中で左前脚にだけに負担が掛かっているからして,うららに無茶させたくはない.
無茶をすれば動けなくなるだろう.
うららの身体中の筋肉はこわばって骨のように固くなっているか,もしくはごっそり筋肉がなくなった.
どちらにせよ近いうちに完全に自力で動くことはできなくなるだろう.
会うたびにできなくなることが増えている.
この2ヶ月弱の間に自力で座ることができなくなった.
この前までは芝生の上を歩いていたのだからうららも戸惑いが大きいだろう.
クローニング病の厄介なところはこれだけではない.
テストステロンの興奮作用にとって自律神経系にも異常がでる.
興奮することで身体に熱を溜め込んでしまう.
突然息があがって苦しそうにしている.この頻度も増えている.
クーラーで部屋を冷やしておかなければ,うららはすぐに熱中症で危険なことになる.
あれほど身体が緊張すると常に全身に痛みがあっておかしくない.
相当な痛みに耐えているかもしれない.
私はここ半年ほどできるだけ頻繁に東京から福岡へとうららに会いに行って、
介護と最後の時間を一緒に過ごすことにしている.
介護する母も不規則な生活リズムや不安などから心身ともに疲弊しているので,私の微力ながらの手伝いで負担が減るようだ.
何ということか私はうららから遠くに住んでいる.
それにうららほどではないにせよ,外出も不自由なかなりの病人だ.
健康寿命はとっくに尽きている.
とにかく私ができる介護や過ごせる時間は限られている.

一緒に過ごしていて救われるのはうららの持ち前の朗らかさだ.
うららはときたま楽しいことを感じると笑う.
それに海岸に出かけるときもリラックスして笑っている.
そのときは身体もほぐれている.
私はうららの朗らかさに敬意を感じている.
私にはないうららの徳だ.
うららの笑顔をみると私たちがうららを愛するように,うららも私たちを愛してくれているのがわかる.
とはいえそう遠くない時期にうららは死ぬ.
私はうららの死の悲しみから身を守るためにグリーフケアの準備もしている.
例えば葬儀に関することも調べたうえでおおかた決めている.
他には私のために牧師にも祈ってもらおうと考えている(家族のなかで私だけはクリスチャンだ…まったく神を信じることはできないけれども…).
とはいえこれだけで悲しみが何とかなるわけがない…
私は人生の半分以上をうららに支えられ導かれて生きてきたが,そのうららが死ぬのだ.
人生を共に長く過ごした存在を失う.
私がどのような喪失感をどれほど味わうのかは想像もつかない.
いまだに十数年前の同居していた祖父の死による,精神的な混乱や錯乱から未だ抜け出せていないのに…
そして祖父の介護の経験が役に立っているのは皮肉なことだろうか.
例えば褥瘡予防として前持って買っておいた犬の介護用マットレスは役立っている.

今はうららと過ごすときに大量に記録を残している.
カメラを向けるのがつらいときもあるが,その姿もせめて作品としてうららを永遠に残す.
とはいえ今すぐにうららのつらそうな姿を見せたくはない.
他人に見せるうららはどれも「マシ」な状態のものだ.
ありのままのうららを他人に見せるのは,私にとってつらすぎる.
うららは親友であり兄妹だ. 「ペット」ではない.
ペットロスという概念に違和感を覚える. Companion Animalロスといえばいいかもしらん.
うららにいなくならないで欲しいが,それ以上に思うのは苦しまないで安らかに死を迎えて欲しい.
うららが苦痛を最小限にできるなら長生きはしなくていい.
うららが苦しみに耐えられず,しかしそれでも死ねないときには,私は母に安楽死を提案するだろう.

うららの気持ちはよくわかるつもりで生きてきた.
それに加えて病床のうららの気持ちもよくわかるつもりでいる,
なぜかというと原因は違うとはいえ,私とうららの病状はよく似ているからだ.
両者は共に,脳の興奮による全身の慢性疼痛が起きている.
私は筋力は特別弱っていないが慢性疼痛によって日々寝たきりに近い.
行動範囲は狭くなり,隣町に行くこともできない.
年中常に全身が痛い.痛みでなかなか眠れず,痛みによって体力は削られ心身が消耗する.
朝起きたときから強い怠さと疲労感があるのが当たり前だ.
隣町に行くことももうできない.
椅子に座っているのもなかなかきつい.
時にはこの痛みと状況に絶望をすることもある.
上記の状態はうららと同じはずだ.
だがこれだけ弱っていても驚くべきことに私は死ねないのだ.
そこらの後期高齢者よりも弱っているのに,私は生きながらえている.
それは医療と栄養の充実によるものだろう.
もしブラジルのキロンボ(逃亡奴隷の集落:私の憧れの僻地)ならば私はとっくに死んでいたはずだ.
現代科学技術の恩恵が結果的に私たちの苦難を長引かせていないだろうか.
自然死ができないならばと,十数年間構想した自殺も今年に入ってキッパリと諦めた.
私の場合は,結果の不確実性や計画することの疲労からして,自殺を考えるだけ気力の無駄に思えた.
もう自殺を考えるのもうんざりしていた.
残された選択肢に今は納得している,
苦しみながら生きる方が死ぬための勇気も必要ない.それにやり残したことをやろうと病体に鞭打って頑張らなくていい.
この選択肢は楽でいい.

話が逸れた.文章を書くことにも疲れている.
とにかくこんな私だからこそ,うららには私のような思いはしてほしくないと強く思う.
うららが絶望に取り憑かれたときは,そしてそこから抜け出せないならば,安楽死の提案をしよう.

東京に帰ってきてからは毎日泣いている.
うららといるときは疲れていて,泣くどころではない.
それにうららの前で悲しい気持ちになることはない.
もしくは気持ちに蓋をして朗らかにしておくことで,うららを心配させないようにしている.
自己欺瞞は必ずしも悪いものではない.
うららの笑顔を得るためには大事なものだろう.
しかしうららから離れたとき,私はただの廃人だ.
同じ廃人ならせめてうららの近くにいたい.マッサージしてあげたい.
オムツの世話などしてあげたい.
そう思うのだ,

祖父とうららの死.そして亡くなった友人たちについて考えるとき,思い出す言葉がある.

されど、死ぬのはいつも他人ばかり
"D'ailleurs, c'est toujours les autres qui meurent"
Marcel Duchampの墓碑より

以上