以下の文は2023_0902にS先生へ送ったものを再編した文章
S先生
最近はいかがお過ごしでしょうか
私は教会の運営に関心を持っていて
宗教法人法や教会の規律を学びつつ,
奉仕活動として,教会運営の議論に参加しています.
また,PCを使う仕事を担当するようにしています.
神学では教会と世俗社会の対比して区別しています
しかし実際のところ牧師や信徒たちの泥くさい世俗的な労働力があってこそ,
日曜の礼拝を聖なる時間や場所にすることができるのです.
実際のところ聖と俗は繋がった関係なのです.
私の知人のクリスチャンは,運営に関わることで
教会に聖性を見出せなくなり躓いた(神学的な言い回しで,教会や神への失望のこと)
そうです.
けれども私はむしろ聖と俗の繋がりに面白さを見出しています.
私の通う教会は借地更新で深刻な問題を抱えているので,もしかすると近いうちになくなるかもしれません.
また若者がいないため役員会が後期高齢者ばかりで,このままでは役員会も破綻します.
これは教会にとって珍しい現象ではないようですが,ぼんやりと見守っていきます.
ちなみに私は末日聖徒(モルモン教)の
伝道にきている米国の若者たちとも交流を
持っています.
彼らと交流して分かったのは,末日聖徒教会は資金も潤沢.
信徒への教育もIT化していていることです.
日本の教会とは比べものにならないほど,人員と資金があることがわかりました.
末日聖徒は三位一体を否定しているので,
所謂「異端」なのですが,その神学にも関心を持っています(比較神学のような意味で)
私の教会のひとたちは他の「異端」や,ユダヤ教神学に批判的な傾向があり,イスラームについてはおそらくそうでしょう.
しかし彼らが十分に他の宗派についての知識があるようにはみえません.
宗教を持つひとたちは他の宗教にそんなに関心がないのでしょうか?
不思議な限りです.
教会の人にはずっと黙っていますが,
私は神に対して無神論から不可知論の立場に代わりつつあります.
しかし不可知論者になったとはいえ相変わらず考えることは,
神がいたとしても自分の人生に,神を介在させたくないということです.
物理学の常識を無視した出来事が起きたら,きっと私はパニックを起こすでしょうから…
しかしそれでも人間は信仰を持つべきと思います.
超越的な価値を信じて,世俗的な価値観から少しでも離れることが健全な社会にみえるのです.
私たち西洋社会の人間はヒューマニズムや,民主主義という,よく実態のわからないジャーゴンを大切にしています.
しかし私は民主主義にもヒューマニズムにも飽き飽きしています.
そのようなものではないalternativeな社会にやはり惹かれるのです.
その線でいくとで政治と信仰が一致したイスラーム社会には惹かれます.
また私が熱烈なファンであるブラジルの場合,人間の命の価値はあまりにも低く,教育や医療や貧困に大きな問題があります.
逃亡奴隷のムラやインディオのムラでは,弱い人間は,他の動物と同じようにして弱って死んでいけるのですから,そこに何らかの価値があるようにも思えます.
死が当たり前なところがブラジルの魅力です.
またそれがブラジル文化の原動力のひとつです.
もちろん私のような弱い人間はとっくに死んでいるでしょうが,
しかし薬や医療に生かされて常に疼痛や疲労に苛まれるよりかは,
アマゾン川の水で腹を下して死ぬほうが,健全で幸せにみえます.
なんせ病院の空調の音なんかではなくて,熱帯の植物や動物の鳴き声に囲まれて死ねるのですからそれだけでも羨ましいです.
ところで安全保障関連でも超越的な価値についての話題があります.
「もし戦争が起きたら自分が戦うか」という問いへの各国比較のアンケートがあるのですが,
そのアンケートによれば,日本では戦うと答えるひとがとても少ないそうです.
(ロバート・エルドリッチというあまり信用ならない政治学者の本で知りましたが…)
右派の論客たちはこのことを危惧していますが,その理由がようやくわかってきました.
これは戦前イデオロギーへの回帰を単に目指しているのではなくて,
国家への忠誠心を国民が失えば安全保障の危機に繋がるという考えがあるからのようです.
(まあ一部には戦前への懐古主義もあるでしょう)
エルドリッチによれば,国家への忠誠心は,防諜や頭脳流失を防ぐだけでなく,
自衛官の人数を揃えるためにも必要不可欠です,
特に少子化かつ人手不足が慢性化している自衛隊の欠員をこれ以上増やさないためにも,
愛国教育はこれまで以上に急務の課題とのことです.
しかしこういう話題になるとまた学術会議と内閣の対立が起きるのでしょうか…
前もお話ししたように安全保障界隈の一部では,学術会議が毒蛇の如く忌み嫌われています.
彼等の言い分としては学術会議は政府機関でありながら、政府の方針に逆らって大学に防衛研究をさせない.
さらに大学の進学説明会には防衛省を参加させず,自衛官を大学に入学させなかった(これは現在ではなくなりました).
たしかに学術会議にはおかしなところはあります.
学術会議の基準では大学で研究さえしなければいいのですから,
研究したいひとは民間さえいけば軍事研究をしても問題ないという姿勢をとっているからです
(中谷宇吉郎がまさにこのパターンで,軍事研究の是非で戦後に最初に問題となりました).
それにしても学術会議不要論は楽観視しすぎかな面もあります,学術会議さえ潰せばすべて彼等の思い通りにうまくいくなんて保証はないのですから.
数日前にここまで文章を一気に書いたのですが なかなかトチ狂った文章を書いたものだと思います. ただやはりS先生は私にとって師匠であり,alienの同志ですので このようなことを書き送りたくなるのです.
数日前は信仰に関することを考えていましたが,
今日は生態系保護の根拠,生物多様性が必要である根拠,
外来種(特に国内外来種)の駆除の根拠を調べては考え続けています.
しかしどれもよくわかりません.
生態系はそもそも自然界の変化を含めた動的な状況を指すなので,
例え木が切り倒されようともそこにダニやミミズがいれば生態系があるといえるのです.
なので生態系を保護するといったときに,どの状態の生態系を保護するのかは人間が決めなければなりません.
ただ,残念な現状として,人間はカワセミやアユといった愛される指標生物が生息できる環境を求めがちです.
またそのような環境は水が澄んでいて心地がいい人間にとっての好環境です.
そして人間はこのような好環境の自然を保護することだけを念頭に置いてしまいます.
ですが人間にとっての好環境だけをつくると生物の多様性は失われてしまいます.
なぜなら人間にとっての悪環境が,ある個体にとっての好環境になるからです.
例えばヘドロの溜まって滞留した水辺は,臭うため人間にとって悪環境ですが,
ここにしか生息できない水草もあります.
ヘドロは栄養素のリン値の高い腐葉土なので,大型のハス類
また長期的にいえば外来種という概念は無意味です.
人間の手が介在せずとも風に飛ばされた虫や種子は移動を行います.
それだけでなくプレートの移動や海面の凍結によって新たな大陸に哺乳類が移動することもあります.
そういってしまえばヒトの大半も外来種です.
しかし私は葛飾区の環境レポーターというよくわからないものに就任したので
これらの答えを専門家に行政や専門家に訊いて回ることになるでしょう.
嫌な人生です.
私はただ自然と戯れたいのですが,
身の回りの自然について考えていたらこんなことになりました.
他にもこんな戦いをやっています(江口先生から君にできることは何もないよと諭されました.)
このアルバムを繰り返し聴きながら文章を書きました.おすすめです.
以上近況報告です.だいぶ自分は狂っていますね…
追記:デビットリンチ作成のCMは面白いです.
まだ私は先生から借りたイレイザーヘッドしかみていないですが,
先生はリンチのどの作品が好きですか.
早く先生とリンチ談義がしたいです.